江守 一郎 博士
 業績
 工学のみならず各分野において微分方程式あるいはパラメーター方式により相似則が導かれ、模型実験が行われていたが、それらを物理法則の確認 "law approach" と言う統一理論によって再整理し、模型実験の啓蒙に尽力した。
 模型実験を応用した交通事故再現の研究は、交通事故の科学的鑑定を日本に定着させる基となった。長らく交通事故鑑定人の第一人者として活躍し、鑑定した交通事故は750件に上る。
 略歴
1924年 東京都出身
1949年 東京大学工学部機械工学科卒
1950年 単身渡米 働きながらミシガン大学に通う
1952年 ミシガン大学大学院機械工学科及び理論工学科修士
1955年 ゼネラルモータース技師
      月面探検車の開発にたずさわり、模型実験理論の研究を始める
1964年 トヨタ自動車工業株式会社技術顧問
1966年 IBMシステム開発部信頼性管理主任技師
      工学博士 東京大学
1967年 カリフォルニア大学(UCLA)工学部助教授
      交通工学、自動車事故の解析を研究
1972年 成蹊大学工学部教授
      交通事故の科学的解析、鑑定を日本に導入
      大型自動二輪、大型車運転免許取得
1989年 成蹊大学名誉教授
      江守エンジニアリング株式会社代表取締役
1996年 没 享年72歳
 主な著書
模型実験関連
・「模型実験の理論と応用」 (初版)、DJ・シェーリング共著、技報堂出版、 1973年 絶版
・「模型実験の理論と応用」(第二版)、技報堂出版、1985年 絶版
・「模型実験の理論と応用」(第三版)、斎藤孝三・関本孝三共著、技報堂出版、2000年
・「機械のはなし」、技報堂出版、1986年
・「模型からの発想」-新技術に挑むスピリット、講談社ブルーバックス、1985年
交通事故鑑定関連
・「実用 自動車事故工学」 -事故の解析と再現-、技術書院、1985年
・「新版 自動車事故工学」 -事故再現の手法-、技術書院、1993年
・「ゼロ秒の死角」 交通事故鑑定人のノート、講談社、1984年
・「交通裁判の科学」、中公文庫、1987年
・「交通裁判のミステリ」、中公文庫、1988
・「交通事故のミステリー」、NHK出版、1994年-
再刊、朝日文庫、2004年
その他
・(対談集)「本田宗一郎は語る」 手から入った知識は応用できる、p171-192、講談社、1985年

 在りし日の江守先生

1975年秋 江守研究室で実験指導

関本

新藤泰司(故人)

左端 斎藤孝三先輩
(工学博士 現ケンタッキー大学教授)

江守先生
        
   
   1976年3月
早稲田大学理工学部

日本機械学会 卒業研究発表講演会

左より

関本

斎藤孝三先輩
(工学博士 現ケンタッキー大学教授)

江守先生
  1983年頃

  車の水中落下模型実験を指揮されている先生

車の落果が故意か過失か問われた事件の鑑定で模型実験が行われた

事故、鑑定内容については下記参照
・「三億円保険金殺人事件」
江守一郎 「交通事故のミステリー」NHK出版刊
1994年6月, pp225-240
「自動車事故工学-事故際限の手法-」 
江守一郎:技術書院刊 1993年5月,pp157-162 
   1985年10月13日

先生から右に二人飛ばし令夫人

先生亡き後も奥様とは親しくさせていただいた

ご夫妻で学生をレストランに招き、食事をすることもあったが、お二人だけの写真がみつからなかった

   1987年 仙台市国分町の街角で

 撮影前、料理屋で和食を堪能した
美食家であった先生は、特に海産物がお好きだった

出された肴を前に、「これ、英語で何というか知っている?」と斉藤先輩に尋ねられていた
   1987年 仙台駅

   「交通事故のミステリー」
    NHK出版刊 1964年6月
              より転載

江守先生の晩年の写真で、一番生き生きと撮られているのがこの写真かも知れない。

近郊ならどこへでも愛車に跨り出かけて行った。しかし、車に乗せられたことはあっても、バイクに乗せられた人を私は知らない。

 偲ぶ会  1996年12月30日急逝 1997年2月偲ぶ会 吉祥寺第一ホテル
挨拶される橋本竹夫先生

工学部機械工学科教授
工学部長
成蹊大学学長
成蹊学園学園長
         を歴任
教え子

佐々木、関本、伊藤
元秘書 水上さん

 私の英文論文がさっぱりわからんと江守先生に呼び出され、ひざ詰めで添削を受けるとき、水上さんにすべて筆記してもらった 1989年春のこと

模型実験演習問題 挿絵は彼女による
井之頭公園の召された場所で黙祷

1996年12月30日、この場所で早朝のランニングをされていた先生は、突然の心筋梗塞により帰らぬ人となった

ジョギングしている人が気付いたが、公衆電話が近くに見つからず、救急車の到着まで時間がかかってしまった。
今日のように誰でも携帯電話を持っていたら、救命処置の心得がある人が近くに居たら、助けられたかもしれない。